名古屋地方裁判所 昭和42年(ワ)2747号 判決 1983年2月21日
原告 協同飼料株式会社
右代表者代表取締役 大津利
右訴訟代理人弁護士 高木英男
同 乾て子
同 伊藤敏男
高木英男訴訟復代理人弁護士 伊藤和尚
同 水野敏明
同 後藤和男
被告 田中允
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 太田真佐夫
被告 滋野博義
右訴訟代理人弁護士 菊地一二
被告 福澤みちゑ
右訴訟代理人弁護士 三澤治郎
被告 小坂忠太郎訴訟承継人 小坂筆子
<ほか四名>
以上五名訴訟代理人弁護士 酒井祝生
同 後藤年宏
同 渡辺淳
被告 関臣八郎
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 酒井祝生
同 長坂凱
酒井祝生訴訟復代理人弁護士 後藤年宏
同 渡辺淳
同 中田健一
主文
被告田中允は原告に対し金三〇六万一八八五円並びにこれに対する昭和四二年一〇月一〇日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告の被告田中允に対するその余の請求を棄却する。
原告の被告関臣八郎、同滋野博義、同田中光臣、同福澤みちゑ、同小坂筆子、同小坂淑子、同桜井直子、同木下悦代、同青木泰美、同小坂文雄に対する請求をいずれも棄却する。
訴訟費用中、原告と被告田中允間で生じた分はこれを四分し、その三を原告の、その一を被告田中允の各負担とし、原告と被告関臣八郎、同滋野博義、同田中光臣、同福澤みちゑ、同小坂筆子、同小坂淑子、同桜井直子、同木下悦代、同青木泰美、同小坂文雄間で生じた分はすべて原告の負担とする。
この判決は原告勝訴部分に限りかりに執行することができる。
事実
第一当事者双方の求める裁判
一 原告
被告らは原告に対し連帯して金一六三七万三四五九円並びにこれに対する被告らへの訴状送達の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言
二 被告ら全員
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決
第二当事者双方の事実の主張
一 原告の請求原因
(一) 原告は飼料並びにキンバー種鶏の販売等を業とする会社で名古屋市港区船見町に名古屋工場を設置している。
(二) 被告田中允(旧姓福澤)は昭和三六年四月一日、同関臣八郎は同三九年八月一日、同滋野博義は同三九年一〇月一五日、それぞれ原告との間に原告を使用者とする雇用契約を締結し、原告会社へ入社した。
(三) 右被告三名は原告会社の名古屋工場管轄下にある長野県伊那市所在の原告会社伊那サービスステーション(以下伊那SSと略称する)に勤務し、被告田中允はその主任として、被告関、同滋野はその部下として、いずれも右名古屋工場長玉井寿一の指揮監督をうけ、原告の製造する飼料及びキンバー種鶏の販売並びにこれらの販売代金を集金したうえ、名古屋工場へ納入する業務に従事していたものである。
(四) しかるに、右被告三名は共謀して昭和四一年二月ころより原告会社の業務ではないの買入れと、これの近隣農家への委託飼育を行ない、その飼料として原告の販売用各種飼料を帳簿上は正式に販売したように見せかけたうえ、不法にも委託先へ供給してこれを横領し、原告に対し後記損害を与えたものである。
(五) かりに、右不法行為が認められないとしても、右被告三名は原告の社員として、原告に対し善良な管理者の注意義務をもって前記職務を遂行すべき雇用契約上の債務を負担しているところ、故意又は過失により右義務に違背し、名古屋工場長の指示あるいは許可を得ることなく、昭和四一年二月ころより前記のようなの買入れと委託飼育を行ない、その飼料として原告会社の販売飼料を委託先へ供給して原告会社に後記損害を与えたものである。
(六) 右損害額は、別表のとおり、飼料販売先への昭和四五年五月末現在の帳簿上及び帳簿未計上分残高と実際確認残高の差となって現われ、この額は金一七〇五万五九八八円に達したが、その後原告会社において伊那SSにおけるブロイラーの売却代金のうち金六八万二五二九円を右損害金に充当したので損害金残額は金一六三七万三四五九円となった。
(七) 亡小坂忠太郎、被告小坂文雄は昭和三九年八月五日被告関につき、被告田中光臣はそのころ被告田中允につき、それぞれ原告との間で、右被告関及び被告田中允が原告会社に勤務中原告に損害を与えたときは本人と連帯してその損害を賠償する旨の身元保証契約を締結し被告田中光臣、同福澤みちゑは、昭和四二年七月六日被告田中允が原告に右損害を与えた後、原告会社に対し、被告田中允と連帯して右損害を賠償することを約した。なお、小坂忠太郎は昭和四八年六月二九日死亡し、その義務を妻の被告小坂筆子並びに子である同小坂淑子、同桜井直子、同木下悦代、同青木泰美が承継した。
(八) よって、原告は被告ら全員に対し連帯して金一六三七万三四五九円並びにこれに対する被告らへの訴状送達の翌日(但し、小坂忠太郎の訴訟を承継した各被告については小坂忠太郎への送達の翌日)から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告らの請求原因に対する答弁
(被告田中允、同田中光臣、同福澤みちゑ)
請求原因第一、二項の事実並びに第三項の事実中、被告田中允、同関、同滋野の担当業務については認めるが、それのみが担当業務ではない。第七項の事実中、被告田中允、同福澤みちゑが原告主張の損害賠償契約を締結したことは認める。その余の請求原因事実はすべて否認する。
(被告関臣八郎、同小坂文雄、同小坂筆子、同小坂淑子、同桜井直子、同木下悦代、同青木泰美)
請求原因第一、二項の事実並びに第七項の事実中、小坂忠太郎が原告主張の日に死亡し、被告小坂筆子、同小坂淑子、同桜井直子、同木下悦代、同青木泰美が亡小坂忠太郎を承継したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(被告滋野博義)
請求原因第一、二、三項の事実は認める。但し、の委託飼育も原告の業務である。第六項の事実は不知。その余の事実は否認する。
三 被告らの抗弁並びに積極主張
(被告ら全員、但し第(五)項については、被告福澤みちゑは除く)
(一) 原告会社名古屋工場はかねてより伊那市の伊沢孵化場との間で取引を続け、その運転資金を貸付ける等密接な関係をもってきたが、昭和三九年ころ、従来の採卵用の生産を肉用ブロイラーに切替えるように指導し、同孵化場もこれに応じて肉用ブロイラーを生産するようになった。
(二) 一方、原告は昭和三九年一〇月伊那市に営業上の地方拠点として伊那SSを設けた。被告田中允はそのころ伊那SSに赴任し、以来伊沢孵化場で生産されるブロイラーの現地での処理に全力を尽し、名古屋工場へも責任をもってこれに協力してくれるように要請を続けてきた。これに対し昭和四〇年六月になって、名古屋工場の辻子営業課長が伊那SSを訪れ、(1)のみによる販売を考えず、成鶏にして販売する方法を検討すること、(2)ブロイラー成鶏の販売先については名古屋工場管下の代理店である愛知養鶏株式会社へ自分が話をしておく、(3)や成鶏の処分については名古屋工場へ持込まず現地飼付、現地処分をせよとの指示をした。ところが、伊沢孵化場の方は資金回転の都合からでの販売を引受けて欲しいとの意向が強く、このため原告の系列から離脱することを考えるようになった。そこで、翌四一年一月二七日辻子課長が再び伊那SSを訪れ、伊沢孵化場に対し名古屋工場でを引受けることを約したことから、伊沢孵化場も引続き原告の系列下に残ることを承知した。しかし、その後名古屋工場からはの処理について何の指示連絡もないことから、伊沢孵化場は名古屋工場に欺されたことに気付き、二月一〇日すぎには遂に多数のを伊那SSへ直接送りつけ、その後も三日ないし六日の間隔で次々と発生してくるを持込んできた。これに対し名古屋工場では現地伊那SSで責任をもって処理せよというだけで何の手も打たないため、被告田中允としても、この上は前記辻子課長の指示に従い、現地での委託飼育、成鶏の現地処分以外に方法はないと考え、そのころ、被告関の紹介により訴外柴久和に対し六か月間の委託飼育を依頼したが、以来田中允は右柴その他の農家での委託飼育、現地処分を続けることになったものである。
名古屋工場でも昭和五一年五月には玉井工場長、辻子課長らが伊那SSへ来て被告田中允の報告を受けた他、伊沢孵化場の代表者伊沢巌にも会って以上のような事実を充分承知していたばかりか、委託飼育(現地処分)を飼料の販売成績の増大につなぐようにと助言した位である。
(三) このような被告田中允の懸命な努力に拘らず、伊那SSの過酷なノルマ、人手不足等客観的にも不利な条件のところへ、昭和四二年に商況が未曽有に低迷し、伊那SSによるブロイラーの委託飼育、現地処分も大きな打撃をうけた。このため、予期に反した損失を生ずるに至ったもので、これはあくまでも営業上の損金であり、被告田中允、同関、同滋野が飼料を横領した事実は全くない。
(四) 原告は債務不履行の主張をするが、委託飼育、現地処分は右主張のような事情から伊那SSが名古屋工場の指示により業務として行ってきたものであり、この業務を遂行したことは、雇用契約上の義務に違反するものではないし、これから生じた損害も、前記のような業務の遂行過程における種々の止むをえない事情によるものであって、被告らの個人的責任ではない。
(五) 被告田中允にかりに債務不履行にもとづく損害賠償債務があるとしても、右債務は昭和四二年五月以降消滅時効が進行する。これに対し原告がこれを理由に損害賠償請求をしたのはそれより一〇年以上を経過した昭和五五年六月一六日付準備書面によるものであるから、右消滅時効は完成しており、被告福澤みちゑを除くその余の被告ら全員は右消滅時効を援用する。
(被告田中允、同田中光臣)
債務不履行にもとづく損害賠償の主張は時機に遅れたものである。
原告は右の主張を昭和五五年六月一六日の第四〇回口頭弁論期日において初めて主張するに至ったのであるが、本件訴訟は昭和四二年九月二九日に提訴され、同年一一月二二日に第一回口頭弁論期日が開かれて以来、この一三年間の間に四〇回の弁論期日を経てきたのであり、この時期になって右主張がなされたことにより現実に訴訟の完結が遅延したのであるから、これは原告の故意または重大な過失により時機に遅れて提出された攻撃防禦方法として却下すべきである。
(被告田中光臣、同福澤みちゑ)
右被告両名が、原告主張の日に被告田中允の原告に与えたという損害につき、これを同被告と連帯して賠償する旨約したのは、次のような事情によるものである。
本件の原告の損害なるものが原告に知れて間もなく、原告名古屋工場の玉井工場長は右被告両名に被告田中允の養母及び実兄として、原告会社に謝罪してくれるよう懇請したことから、両被告が昭和四二年七月六日原告の本社へ赴いたところ、本社の一室に午後九時四〇分ころ迄留めおかれ、この間原告の取締役小路央也らから「允は非常に悪いことをしている。刑事問題にして詐欺、横領等になると允の一生はメチャメチャになるばかりでなく、福澤(被告田中允の養子先)の家名にも傷がつく。しかし、允は優秀な社員だから惜しい。この念書に捺印すれば刑事事件にせず、今後も使ってやる」などと繰り返しいわれたことから、両被告はすっかり畏怖し、同時に右小路らの示した書面に捺印すれば允は引続き原告に雇用してもらえるものと信じ、同書面に捺印したものである。ところが、その後右損害について被告田中允に責任がないことが判明し、また、同被告はその後懲戒解雇されたものである。
右のとおりであるから、被告田中光臣、同福澤みちゑの前記意思表示にはその要素に錯誤があって無効であり、かりに無効でないとしても、原告の社員による詐欺強迫によるものであるから、被告両名は昭和四二年七月三〇日に右意思表示を取消す旨原告宛に通知し、そのころ原告に到達した。
(被告滋野博義)
原告のこうむったという損害は、伊那SSにおける委託飼育の結果だとされている。しかし、伊那SSが右委託飼育をせざるをえなくなったのはこれ迄に主張してきた経緯によるものであり、この責任は原告やその名古屋工場にもあるのである。しかも、被告田中允、同関臣八郎、同滋野博義の三名は本件に関し一銭たりとも着服して私腹をこやした事実はないにも拘らず、右被告三名は原告から懲戒解雇の処分をうけ、また刑事告訴されるという不名誉な扱いをうけたのである。
以上の事実からすると、かりに、本件損害の発生につき被告滋野らに何らかの責任があったとしても、本訴提起以来一五年にもわたる民事訴訟で損害の賠償を求めることは権利の濫用であって許されない。
四 抗弁に対する原告の答弁
被告らの消滅時効完成の事実は否認する。原告は本件審理の当初より、債務不履行の要件事実を主張しているところであって、時効は中断している。被告田中光臣、同福澤みちゑの損害賠償契約締結の意思表示は無効であるとの主張事実は否認する。被告滋野博義の権利濫用の主張は争う。
第三証拠関係《省略》
理由
一 請求原因第一、二項の事実はすべての当事者間において争いがなく、被告田中允が伊那SSにおいて、原告主張の業務を担当したことは《証拠省略》から認められる(なお、被告田中允、同田中光臣、同福澤みちゑ、同滋野博義との間ではこの事実は争いがない)。
二 《証拠省略》によると以下の事実を認めることができる。
(一) 原告会社は昭和三九年一〇月営業上の地方拠点として長野県伊那市に伊那SSを設置し、同SSは原告名古屋工場の管轄に属し、同工場長の監督のもとに業務を運営することになったが、被告田中允はそのころ同SSの主任として赴任し、前記業務に従事し、これに前後して原告に雇用された被告関、同滋野も被告田中允の部下として同SSで勤務したこと
(二) 原告は昭和三一年以来伊那市にある有限会社伊沢孵化場(以下(有)伊沢という)との間で取引を行ってきたが、伊那SSの設置に先立ち、業績の思わしくない(有)伊沢に対し従前の採卵用の養鶏をブロイラーに切替えることを勧め、その販売には原告名古屋工場も協力する旨約し、(有)伊沢もこれに従ってブロイラーを取扱うようになったこと
(三) しかし、このブロイラーの販売は順調にはいかず、伊那SSに赴任した被告田中允も着任早々この処理に努力したが成績は振わなかった。昭和四〇年四月名古屋工場営業課長辻子保彦が伊那SSを訪れたが、この際被告田中允から右の報告をうけた辻子営業課長はが売りにくいなら伊那SSでこれらを成鶏にして処分することを研究するように指導し、成鶏を扱う愛知養鶏株式会社へは自分からも連絡しておく旨約したこと
(四) その後も(有)伊沢の営業成績は依然不振で、昭和四〇年一〇月には不渡手形を出すに至ったことから、(有)伊沢は翌年一月にはを全部買取ってくれるという太洋漁業の系列下に入ることを決め、その旨名古屋工場へ伝えてきた。これに対し被告田中允も伊那SSでを処理することが大きな負担になっていたことや、(有)伊沢の成績は今後も悲観的であると考えたことから、これと手を切るべきであると考え、名古屋工場へ書面でその旨を具申したが、名古屋工場としては、(有)伊沢は永年にわたる飼料購入の得意先である等の事情から、同月二七日辻子課長を伊那SSへ赴かせ、(有)伊沢の系列外への転出を引き止めにかかり、辻子課長が(有)伊沢の代表者伊沢巌に対し、今後売れ残ったは名古屋工場で責任をもって買付けると約したことから、伊沢も飜意し、引つづき原告の系列に残ることにした。しかし、その後も名古屋工場からはの買付について具体的な連絡をしてこないことから、伊沢は二月八日同工場へ赴き、玉井工場長と面談したところ、同工場長も全面的に協力するとのことであった。ところが、その後も具体的処置がとられないうちに、(有)伊沢が辻子課長との前記約束を信頼して孵卵器に入れた卵が孵化をはじめたことから、二月二〇日ころ伊沢巌が名古屋工場への引取りを求める電話を入れたところ、五月女営業係長から伊那SSへ送るように言われたため、(有)伊沢は同日二〇箱(一箱一〇〇羽入り)のを伊那SSへ持込み、原告の方でこれを処理するように強く迫ったこと
(五) 被告田中允としては、(有)伊沢が突然にしかも大量のを持ち込んでくることを予想もしなかったため、この対応策に窮し、直ちに名古屋工場へ連絡したが、工場長も営業課長も不在であり、電話に出た五月女からは名古屋へ持込まれても処置できないから現地で処理するようにと指示された。実際問題として、名古屋へ運んでも商品価値が下落してしまうため、被告田中允は止むなく近隣の農家へ依頼して飼育してもらうことにしたが、その後辻子からも現地で飼育するように指示があり、(有)伊沢からは次々に発生するを持込まれ、被告田中允は被告関、同滋野ともどもその処理に飜弄させられた。このように、伊那SSでは本来の業務の他に近隣農家へのの委託飼育にあたることになった。そして、同年五月には玉井工場長、辻子課長が視察のため伊那SSを訪れたが、この際被告田中允がこの実情を報告したのに対し両名はこれを承認し、委託飼育を飼料の拡販につなげるように指導したこと
(六) このように、伊那SSにおける委託飼育は昭和四一年二月二〇日にはじまり、翌四二年五月末被告田中允に静岡県島田営業所への転勤が命ぜられる迄つづいた。伊那SSが(有)伊沢から買受け委託飼育したは成鶏となると主として愛知養鶏、日本食鳥の各会社へ売られた。また、この間の飼料については伊那SSが各委託農家へ提供し、成鶏を屠体にして売却後にその売上げ代金との間で清算するという仕組みであったが、この記帳関係は、委託飼育が原告の本来の業務でないことから定められた帳簿がなく、被告田中允は補助簿をつくって自らこれに記帳したり、あるいは被告滋野や同関に記帳させてきたが、この期間中これによる損益の関係は正確には把握しておらず、また名古屋工場へその計算関係について報告したことは全くなかったこと
以上の各事実が認められる。《証拠判断省略》
三 そこで、先づ原告の主位的請求である不法行為の成否について検討する。
(一) 原告は、被告田中允、同滋野、同関の三名が原告の業務ではないの委託飼育を行ない、そのために原告の飼料を委託先へ不正に供給してこれを横領したとするが、右被告三名が被告田中允を中心としての委託飼育をし、その成鶏を他へ売却する業務に従事したことは認められるものの、これは右被告らを指揮監督する立場にある原告名古屋工場の承認のもとに行なわれたことは前記の認定から明らかなところであり、この委託飼育業務は、原告会社の本来の業務に加えて、右被告三名がその遂行を命ぜられた原告会社の業務に他ならない。
しかしながら、この委託飼育を行なう過程において、原告主張のような飼料の不正流用があり、これによって原告に損害が生じたとすれば、なお、不法行為成立の余地はあるわけである。そして、《証拠省略》によると、この委託飼育につき、名古屋工場は伊那SSに対しそれに要する費用や飼料は全く提供しなかったこと、伊那SSは(有)伊沢から買入れた(ある時期からは(有)伊沢以外からも買入れた)を委託先へ移したうえ、委託先へは飼料を供給し、が成鶏となると屠体にして日本食鳥株式会社他へ売却して、この売却代金で伊那SSと委託先との間で委託手数料や飼料代と清算してきたこと、昭和四二年五月末日現在で右被告三名が伊那SSで勤務中取引先の農家等へ販売したはずの飼料の残高に対し、現実に確認された残高の数量には相当の不足があり、その明細は別表の「信州大学」の欄以上の各欄に記載のとおりであって、その不足金額の合計は金一五九九万一九五四円となること、しかも、同表に記載の各得意先には委託飼育をしていた農家もあるが、大部分は委託飼育に無関係な農家であることの各事実が認められる。これらの事実からすると、このように残高に不足が出たのは委託飼育そのものに基因するというよりは、むしろ、被告ら三名が委託飼育に要した諸費用や飼料、あるいはこれに伴ない発生した損失に充てるために、販売用飼料を他の得意先に販売したようにみせかけ、これを右の費用や飼料さらには損失の補填に充てたことによるものと考えられる。けだし、もし委託飼育それ自体により発生した営業上の損害であるならば、委託先へ委託料の支払ができないとか、委託先への飼料代が回収できないという形をとって対委託先ないしは屠体の処分先の関係で現われる筈だからである。加えて、《証拠省略》によれば、被告田中允から名古屋工場への売上及び残高報告の一部については、実際額ではない虚偽の数字を操作して報告されていた事実及び右被告三名が記帳していた帳簿の中には実際の在庫高に見合う記載がなされていた事実が認められ、その一方で、本件全証拠によっても、右被告三名において、販売用飼料そのものないしはその販売代金を自らの個人的用途に充てたり、費消したりした事実は認められないことからすると、結局、伊那SSでは前記のような委託飼育に伴なう費用や飼料及び損害に充てるため販売用の飼料を委託先へ流用供給する一方、名古屋工場へは不実の報告をした結果、前記のような飼料残高に不足が出るに至ったものと認められる。ただ、在庫報告の数字については、《証拠省略》によると、委託先への飼料の供給が直ちに売上げにならない仕組みであったことから、取敢えず、補助簿に記帳し、二、三ヶ月後に報告をする扱いをしたことから、実際在庫高と異る数字を報告した事情が窺われるものの、このような取扱いについて名古屋工場へ何の連絡もせず、長期間にわたって実際と異る帳簿処理をし、これによって在庫高が益々不明確になるのを放置してきたことからすると、これは被告田中允の意図的なものと考えざるをえない。
(二) 右被告ら三名としては、前記認定のような止むをえない事情により、本来の業務に加えての委託飼育に従事することになったものであり、しかも、それに充てるべき費用や飼料も名古屋工場からは提供されなかったのであるから、そのための諸費用や飼料を販売用飼料ないしはその売上げから捻出せねばならなかったとすれば、伊那SSの主任として責任者の立場にあった被告田中允としては、このような実情を名古屋工場へ卒直に訴えて指示を求めるべきであったし、かりに、適切な指示がなく、販売用飼料を流用するより他に手立てがなかったとしても、その結果は実態どおりに正確に報告するべきものであって、前記認定のような虚偽の内容の報告をすることが許される理由はないのである。そして、このような不実の報告をしてきたため原告において正規に販売した飼料代金の回収が不能になったり、あるいは飼料の所在が判らなくなった以上は、少なくとも、伊那SSの責任者であった被告田中允は、不法行為者としてこれによる原告の損害を賠償すべき責任がある。これに対し、被告田中允は、伊那SSでは委託飼育により営業上の損失が発生し、原告のいう損害もこれに該当するとして、相場の下落等その事由をいくつか列挙する。そして、《証拠省略》によれば、その主張にかかるような情況のあったことが窺われるものの、だからといって、名古屋工場に対し虚偽の売上及び残高報告をし、委託飼育と無関係な農家についても販売したとされる飼料が実際には販売されておらず、このような方法で浮かせた飼料を委託飼育のために用いることが許容されるとは到底考えられないところであって、これにより被告田中允がその責任を免れることはできないところである。
(三) 次に、被告滋野、同関の責任であるが、右被告両名が原告主張の日に原告会社へ入社し、伊那SSで勤務したことは前記のとおり当事者間に争いがないが、《証拠省略》によると以下の事実が認められる。
被告滋野は伊那SSの嘱託として採用され、同SSの飼料の受払い、在庫の管理を担当した他、被告田中允の指示で帳簿の記帳、名古屋工場への在庫報告も扱ってきたところ、委託飼育の飼料関係については飼料の在庫高につき、現実の在庫数と異る数字を名古屋工場へ報告したこともあったが、その事情は先に認定のとおりであり、それも被告田中允の指示にもとづくものであったし、被告滋野としては、この点については被告田中允と名古屋工場の方で了解がついていると考えていたこと、被告関も同じように伊那SSの嘱託として採用され、被告田中允の指揮の下で主に販売業務を担当してきたが、委託飼育がはじまってからはやはり田中允の指示で五、六軒の委託先を開拓したうえ、そこでの委託羽数、飼育状況を同被告に報告する等の業務にも従事した。以上の事実が認められる。
右のように、両被告は伊那SSの開設に伴って原告会社へ入社し、被告田中允の指揮のもとに前記業務に従事していたところ、委託飼育が行われるようになった経緯については右両被告はその立場上充分知悉していたとは認められず、被告田中允の指示のままに委託飼育に携わるようになり、これに伴う帳簿等の記帳についても同様であった。このため被告滋野については飼料の在庫数や売上額については必ずしも正確でないことを認識しながら名古屋工場へ報告していた節があるが、これも名古屋工場も了解していて止むをえないと考えていたものであって、このような、被告両名の地位、担当業務の内容並びに伊那SSが委託飼育を行なうようになった先に認定の経緯に照せば、被告両名はあくまでも、上司の指示に従って委託飼育業務に従事してきたもので、故意過失により被告田中允の前記不法行為に加担したと認めることはできず、右両被告に原告主張の不法行為の事実を肯認することはできないところである。
(四) 前記認定のとおり、被告田中允の不法行為により、原告名古屋工場より伊那SSへ出荷されながら所在が不明となった飼料の価格は、昭和四二年五月末日現在で金一五九九万一九五四円相当である。原告は、右同日現在では別表の差引合計欄記載の金一七〇五万五九八八円であると主張するが、同表の共栄会の欄以下に記載の金一〇六万四〇三四円は売掛金残高帳の裏付を欠くうえ、《証拠省略》によると、これは委託飼育したの不足分であると認められ、かつ、どのような仕組での不足分がでたのか、また被告田中允がそれにどのようにかかわったのか証拠上必らずしも判然としないことから、かりにそれだけの価格のに不足があったとしても、これをもって被告田中允の不法行為によるものとみることはできない。そして、原告は、この損害に対しその後金六八万二五二九円の内入弁済のあったことを自認するから、その残額は金一五三〇万九四二五円となる。
しかるところ、被告田中允が本来の業務にないの委託飼育に従事せざるをえなくなったのは、既に認定のとおりの経緯によるもので、その主たる原因は、原告名古屋工場が(有)伊沢を自己の系列下に引き留めることに腐心のあまり、そのを買付けることを約したことによるものであり、また右のような損害が発生したのは、被告田中允の独断による不実な伝票処理や名古屋工場への連絡不十分という先に認定のような同被告の責任に由来するものとはいえ、名古屋工場も前記経緯から伊那SSにの委託飼育をさせながら、その遂行に必要な資金や飼料を全く提供しないで、すべて伊那SSに委せ切りにしたばかりか、充分な指導監督を怠り、前記恒吉の証言によると、その監督も昭和四二年五月末に至るまで全く行っていないことが認められ、損害の発生拡大を阻止できなかったものである。このような一連の事実関係を通観すれば、本件損害の発生及び拡大については、被告田中允にそれなりの責任があるとはいうものの、むしろ本来の業務外であるの委託飼育を命じながら、これを拱手傍観してきた原告名古屋工場の側により大きな落度があるといわざるをえない。そこで、これらの諸事実を総合勘案のうえ、双方の過失割合を原告のそれを八とし、被告田中允を二と評価して過失相殺することとし、右認定の損害額から八割を減ずると、その額は金三〇六万一八八五円となる。
(五) 原告は、原告のうけた損害につき、被告田中光臣は被告田中允の身元保証人として、また同被告と被告福澤みちゑは被告田中允とともにこれを賠償する旨原告に約したことにより、損害賠償責任があると主張するところ、被告田中光臣の身元保証契約については、同被告もその本人尋問においてこれを締結したかの供述をするが、その保証契約書も証拠として提出されず、他にこれを裏付ける証拠もないことから、同被告の身元保証契約についてはこれを認め難い。
次に、右損害賠償契約であるが、《証拠省略》によると以下の事実が認められる。
被告田中光臣は同田中允の実兄、被告福澤みちゑは昭和四二年当時同田中允の養母であったが、同年七月六日の数日前、原告名古屋工場から被告田中光臣、同福澤みちゑの両名に対し、被告田中允が不正を働き原告会社に損害を与えたから、原告会社本社に出向いて会社幹部に謝罪するように求められてこれに応じ、同日昼すぎころ右本社へ赴いたところ、原告会社の小路取締役らから被告田中允はその不正行為により会社に多額の損害を与えたので同被告ともどもこれを賠償するように求められた。しかし、被告田中光臣、同福澤みちゑは被告田中允の不正行為の内容も必らずしも充分にわかっていなかったこともあって、これを渋っていたが、同取締役らは、これに応ずれば、被告田中允の社員としての身分も保証するし、刑事告訴もしないと告げたうえ、同日九時過ぎころ迄長時間にわたって損害賠償契約書に署名押印するように強く説得したため、右被告両名も身内である被告田中允が不名誉な刑事告訴をうけずにすみ、今後とも原告会社の社員として勤務することができるのなら、これも止むをえないと考え、同日午後九時過ぎころ、原告側で用意した右趣旨の記載のある念書と題する書面にそれぞれ署名拇印したこと、ところが、その後間もなく、被告田中允は原告から業務上横領の罪で検察庁へ告訴され、同年七月二七日には原告会社から懲戒解雇されたこと、一方、右被告両名は同月三〇日原告に対し右損害賠償に応ずる旨の意思表示を詐欺強迫を理由に取消すとの意思表示を郵便で行ったこと、以上の事実が認められる。
右の認定事実からすると、右被告両名の意思表示の要素に錯誤があったとはいえないものの、その後、原告が右被告両名に対する小路取締役らの説明と相反する措置をとったことは明らかである。ただ証拠のうえから、原告会社がどの時点で被告田中允に対する刑事告訴や懲戒解雇を内部的に決定したのか判然としないが、告訴や解雇という自らの判断のみで決定できる措置につき、日を経ずして自社の取締役の説明と全く反する措置をとったことは、かりに右契約時においては原告に刑事告訴や懲戒解雇の意思がなかったとしても、結果的には被告田中光臣、同福澤みちゑに対し詐言を弄して同被告らに損害賠償契約の締結に応じさせたことになるのであって、このような事前説明と事後の措置にくい違いが生じたことについて、これが止むをえないと納得できる事情がない以上、欺罔されたと同様の立場にたつ右被告両名の前記意思表示の効力をそのまま是認することは相当でない。しかるところ、右事情について何の主張立証もない本件においては、契約締結に際して契約当事者に要求される信義誠実の原則に照し、右契約に基く両被告への請求は許されないと解すべく、とすれば、原告の両被告に対する右損害賠償請求は認められないところである(なお、この点につき被告田中光臣、同福澤みちゑは明確に信義誠実の原則に違反する旨主張しているわけではないが、契約締結の意思表示を否定する本件の主張はその趣旨を包含するものと解することができる)。
四 債務不履行による損害賠償請求について
原告は本件審理の途中において、被告田中允、同関、同滋野は原告との雇用契約上の義務に違反した債務不履行により原告に損害を与えた旨予備的に追加請求をし、被告田中允、同田中光臣はこれを時機に遅れた攻撃防禦方法として却下することを求める。しかし、原告の右主張は単なる攻撃防禦方法ではないからこれに民事訴訟法一三九条を適用する余地はない。
そこで、右請求追加の許否について検討するに、原告は右請求を昭和五五年六月一六日付準備書面をもって第四〇回口頭弁論期日において追加主張するに至ったのであるが、本件審理は記録から明らかなとおり、昭和四二年九月二九日に提訴され、同年一一月二二日に第一回口頭弁論期日が開かれて以来、右追加請求がなされる迄約一三年間にわたり、三九回の口頭弁論期日を重ね、この間原告の主張する前記被告三名の行ったの委託飼育が原告の業務外の行為であったのか、またその過程で発生した飼料の帳簿上の在庫高と実際の残高の差数分を右被告らが横領したか否かという不法行為の成否を巡って審理が続けられてきたのであり、このような経過で、裁判所は第四〇回口頭弁論期日において弁論を終結したのであるが、その後これを再開し、第四二回口頭弁論期日において、被告ら全員に対し原告の追加請求に対する反論、立証が充分でないことから、委託飼育における帳簿処理を中心にして債務の履行状況を立証するように促したものである。しかし、その時点においては事件発生時より既に一三年余を経ており、当時の帳簿類が被告らの手許にはないうえ、検察庁に押収されたと推測される書類についても既に不起訴処分に付されていて、その所在が判明しなかったりし、加えて、被告ら自身の記憶も不確かになってきていることから、被告らは遂に右立証を充分に尽くすことができないまま、その後二年近くにわたる審理は証拠資料の探索と債務不履行責任を巡る法律論の展開に終始してきたものであり、これらの点は当裁判所に顕著な事実である。
このような審理の経過からみると、原告の右請求の追加が再開前審理の最終段階になって行われたことから、一旦弁論が再開され、その後も被告らは前記の事情により充分な立証を尽くすことができないままの状況であり、弁論再開後に裁判官の更迭という当事者の責に帰すことのできない事情もあったとはいえ、原告の請求の追加が、もともと長期にわたりすぎた本件の審理をさらに遅滞させてきたことは明らかである。そこで、本件訴訟をこれ以上に遅滞させないためにも、原告の債務不履行にもとづく損害賠償請求の追加的変更は許さないこととする。従って、原告の右請求については判断しない。
五 被告小坂文雄、同小坂筆子、同小坂淑子、同桜井直子、同木下悦代、同青木泰美に対する各請求は、原告の被告関臣八郎に対する損害賠償請求が肯認できない以上、亡小坂忠太郎、被告小坂文雄と原告との身元保証契約の如何に拘らず認められない。
六 以上説示のとおりであって、被告田中允は原告に対し金三〇六万一八八五円並びにこれに対する同被告への訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四二年一〇月一〇日以降右支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告の本訴請求を右の限度で正当として認容し、同被告に対するその余の請求並びに被告田中允以外の各被告に対する請求をいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宮本増)
<以下省略>